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熊本地方裁判所 昭和59年(レ)14号 判決

控訴人 田口昌良

被控訴人 国

代理人 菅祝久 永杉眞澄 ほか一一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、「1 原判決を取り消す。2 被控訴人は、原判決添付別紙物件目録記載の土地につき、熊本地方法務局芦北出張所昭和四四年一月一四日受付第一〇二号による所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、次のとおり訂正・削除、付加するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

1  原判決二枚目表五行目「亡田口時雄(以下時雄という)」を「田口源蔵(以下「源蔵」という。)」と改め、六行目「右時雄は、」を「源蔵は、昭和一三年七月二七日隠居の届出をするとともに長男 田口時雄(以下「時雄」という。)が家督相続の届出をし家督相続人として本件土地所有権を取得し、次いで時雄が、」と改める。

2  同二枚目裏六行目「請求原因1の」から一三行目「不知、」までを「1 請求原因1の事実は認める。2 同2の事実中、源蔵が昭和一三年七月二七日に隠居届出をするとともに、時雄が家督相続の届出をし昭和四六年一月一〇日死亡し、原告及び久良が時雄の子であることは認め、その余は争う。3 同3の事実は認める。4 同4の事実中、安恵が時雄の弟であることは認め、その余は争う。5 」と改める。

3  同三枚目表二行目「1 本件土地は」から四行目「2」までを削る。

4  同三枚目裏一〇行目「登記簿を」から一三行目「ていた。」までを「登記簿並びに戸籍を調査し、源蔵の隠居届出により時雄が家督相続の届出をしていることを突き留めた。しかしながら、」と改める。

5  同四枚目表六行目「しかし、」から九行目「との間で処理する」を「そして、工事事務所は、安恵及び時雄の了承のもとに、本件土地の売買契約書の売主を時雄名義にさせ、所有権移転登記手続も時雄名義でさせる」と改める。

6  同五枚目裏七行目「本件移転登記に際し」を「本件移転登記申請に際し」と改め、同行から八行目にかけて「被告は、時雄から」を「被控訴人は、時雄名義の」と改め、同行から九行目にかけて「本件移転登記」を「本件移転登記申請」と改め、一二行目「被告の主張(一)1の事実を認める。同(一)2の事実中」を「被控訴人の主張(一)の事実中」と改める。

7  控訴人の主張

原判決には、事実誤認があり取消しを免れない。

8  被控訴人の主張

原判決は、安恵が源蔵の農業の後継者であり、時雄が他家の事実上の養子となつて田口家を安恵に委ねていた事実を認定しながら単に家督相続の一般論をもつて源蔵から安恵に対する本件土地の分筆前の山林の贈与を否定したのは、判断の誤りである。

次に、本件土地の売主を名義上時雄とする売買契約書の時雄の押印及び本件移転登記手続は、安恵が田口久良に依頼し、久良は精神病院に入院中の時雄のもとに湯前町役場の印鑑登録係の吏員である地内と共に赴き、院長が時雄の意思能力のあることを確認したうえ、本件土地の売買契約及び所有権移転登記手続のための印鑑登録をする意思のあることを確めて印鑑登録をし、かつ、久良が時雄の印鑑登録証明申請の代理権を時雄から授与されその旨の委任状を添付して右印鑑登録証明書交付申請をし、印鑑登録証明書の交付を受ける等し、時雄の意思に基づき右売買契約書に右実印を押捺し、本件土地の所有権移転登記手続に要する書類を作成し、安恵を通じて被控訴人が本件土地の所有権移転登記を経由したのであるから、時雄は右諸手続当時意思能力が存在しており、本件移転登記は適法かつ有効である。

三  証拠 <略>

理由

一  本件土地がもと源蔵の所有物件であり、源蔵が昭和一三年七月二七日隠居の届出をするとともに、時雄が家督相続の届出をし昭和四六年一月一〇日死亡し、控訴人及び久良が時雄の子であること、本件土地につき被控訴人が本件移転登記を経由していることは、当事者間に争いがない。

二  控訴人は、本件土地は源蔵の隠居により時雄が家督相続人として所有権を取得し、次いで、時雄の死亡により控訴人及び久良が相続人として所有権を取得した旨の主張をするが、<証拠略>中右主張に沿う部分は、<証拠略>に対比して採用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

かえつて、<証拠略>を総合すれば、次の事実が認められる。

1  控訴人の祖父源蔵は、農業を家業としていたが、昭和一三年七月初め頃には多額の負債があり、他方所有不動産は、熊本県芦北郡芦北町大字白岩字前田三七七番一の借地上に建築した木造草葺平家建居家一棟、建坪三一坪三合の居宅と昭和四四年一月一四日分筆前の同所字日添七五七番二 山林 一五二m2、同所字日添八四〇番一 山林 一〇五一m2、同所字桑代九二〇番一 山林 一二四九m2等の山林の他にはなく、農業の基盤となる農地はすべて小作地であつた。

2  源蔵の長男 時雄は、昭和一三年当時、源蔵とは別居して熊本県球磨郡湯前に居住し、電気関係の仕事に従事しながら縁辺に当る中上家に事実上の養子として入り、中上家の家族と同居していた。

3  他方、源蔵の二男 安恵は、昭和一三年当時、源蔵と同居して同人を助け農業に従事していたが行末を案じ熊本県球磨郡の開拓団地に入植の決意を固め、右意向を源蔵に伝えたところ、同人から家に留まつて農業を継ぐように強く慰留され、姉婿の前田貞一、山村秀作及び桑鶴香月らからもそのように説得されて、結局、源蔵の所有不動産を全て安恵が贈与を受けることを条件として開拓団地の入植をあきらめ、源蔵とともに引続き農業に従事し、源蔵ら同居家族を扶養することを承諾した。

なお、右前田貞一、山村秀作、桑鶴香月の三名は、時雄方を訪ねて同人に対し、右の事情を伝えたところ、同人は、安恵が家に留まつて源蔵の農業を引き継ぎ源蔵らの同居家族の扶養をするよう要望するとともに、安恵が実質的な戸主として源蔵の不動産の贈与を受けることに異論なく了承した。

そこで、源蔵は、安恵が田口家の事実上の戸主として振る舞うため、昭和一三年七月初頃、安恵に対し源蔵所有の前記居宅及び山林等の不動産を贈与し、安恵は右贈与によつて右各物件の所有権を取得し、主たる物件である居宅につき昭和一三年七月二七日付で安恵名義の所有権保存登記を経由し、源蔵は、同日付で隠居届をし、安恵は、以後源蔵及び同居家族を扶養し、源蔵の残債務も自己の収入で弁済した。

なお、安恵は、その後、昭和三四年九月、子の田口信一に対して前記桑代九二〇番の一及び日添八四〇番の一の各山林を贈与し、中間省略により昭和三四年九月七日付で源蔵から安恵の子である田口信一に対する所有権移転登記を経由した。以上の事実が認められ、<証拠略>中右認定に反する部分は、前記その余の証拠に対比してにわかに採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  <証拠略>によれば、被控訴人(建設省)は、昭和四四年一月頃、国道三号線佐敷トンネル換気設備を設置するため本件土地を田口安恵から買い受けて所有権を取得したことが認められ、<証拠略>中右認定に反する部分は、前記その余の証拠に対比して採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

四  次に、本件移転登記の効力について以下検討する。

1  前記のとおり、安恵は源蔵の隠居前に本件土地の贈与を受けて所有権を取得し、その後、被控訴人(建設省)が安恵から本件土地所有権を取得し、他方、源蔵の長男 時雄は、源蔵の隠居による家督相続人であることから、時雄が被控訴人に対して本件土地所有権移転登記義務者であることは、論を待たないところである。

しかしながら、被控訴人は、本件移転登記が時雄の意思に基づくものである旨の主張をするが、右事実を認めるに足りる証拠はない。

2  次に、被控訴人は、仮に本件移転登記が時雄の意思に基づかないとしても、本件移転登記が本件土地所有者である被控訴人(建設省)名義となつている以上、本件移転登記は、実体的権利関係に符合し、登記義務者である時雄において中間省略による所有権移転登記申請義務を拒むことのできる特段の事情はなく、かつ、本件移転登記申請が登記義務者である時雄の意思に基づき適法にされたものと信ずるにつき正当事由がある場合であるから、控訴人は本件移転登記の効力を否定することができない旨の主張をするので以下判断する。

<証拠略>を総合すれば、時雄は、梅毒の末期症状の進行性麻痺により昭和三四年頃から下益城郡小川にある精神病院である再生院に入院し、常軌を逸した行動判断をし、記憶、記銘力悪く、誇大妄想、無関心、投げやりの態度、言語障碍等の症状を示し、痴呆の程度が著しく一進一退を繰り返して悪化し昭和四四年頃には、時には寛解に向うこともあるが正常な判断能力を著しく減弱した状態にあつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

次に、<証拠略>を総合すれば、被告の建設省熊本工事事務所係官池田肇夫らは、昭和四三年九月頃、白岩公民館に地元地権者らを集めて佐敷トンネル換気設備のための用地買収の説明会を開いた際、安恵が本件土地分筆前の七五七番二の所有者として出席しており、当時、工事事務所では、登記簿及び戸籍調査によつて、右土地が源蔵名義であり、戸籍に源蔵の隠居届と同時に時雄の家督相続の届出の記載があることから、時雄が家督相続人であり、住民票によつて湯前に居住していることを突き留めていたので、工事事務所係官は、右説明会の席上源蔵の二男 安恵が所有者として出席した経緯の説明を求めたところ、安恵は、他の地権者らの前で、自分が源蔵ら田口家の同居家族を扶養して家に残ることになり、源蔵の隠居前に源蔵所有不動産全部の贈与を受けて所有権を取得しており、右七五七番二についてのみ移転登記が洩れているが、時雄は入院しており登記名義の変更はすぐにできる旨述べたので、工事事務所側は、安恵が所有者であるとしても買収手続の便宜上売主名義を時雄として売買契約及び所有権移転登記手続を進めたいとの意向を示したところ、安恵もこれを了承し、かつ、右手続に協力する旨の申出をしたこと、そこで、工事事務所は、当時、時雄が精神病に罹患していることまで知るに至つていなかつたが、安恵に対し時雄名義の右書類の作成方を依頼し、安恵は、湯前に居住する兄 時雄の二男 田口久良に対し右七五七番二の所有権取得の経緯及び一部買収対象地である事情を説明して時雄名義の右書類の作成につき協力を求めたところ、久良もこれを了承して、右関係書類に押捺すべき時雄の実印の印鑑登録手続のために、先ず、湯前役場に赴き同役場の印鑑登録係りである地内正巳に時雄の入院先の再生院まで出張による登録受付を申出たこと、そこで地内正巳は昭和四三年一一月下旬、時雄の入院先の再生院に出張し、当日の時雄の症状が寛解に向い精神状態が比較的良好な状態である旨立会いの主治医から告げられ、かつ、地内も時雄に面接したところ相当程度判断能力を有しているように見受けられ、印鑑登録を理解し印鑑登録の意思があるものと判断して口頭受理により印鑑登録を受け付け、さらに、その場に居た久良が、時雄の面前で作成した久良を代理人とする時雄の印鑑登録証明申請書を受理して右印鑑登録証明書を久良に交付し、その後久良が、右印鑑を押捺して勝手に売主を時雄名義とする売買契約書及び登記義務者を時雄名義とする所有権移転登記手続に要する書類を作成して安恵に交付し、安恵は右書類を工事事務所に交付して本件移転登記を経由したことが認められ、<証拠略>中右認定に反する部分は、前顕その余の証拠に対比して採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  ところで、一般に、登記義務者の意思に基づかずにされた登記であつても、その登記の記載が、実体的権利関係に符合し、かつ登記義務者において登記申請を拒む特段の事情がなく、登記権利者において当該登記申請を適法であると信ずるにつき正当の事由が存するときには、登記義務者は右登記の無効を主張することができないものといわなければならない(参照 最高裁判所昭和四一年一一月一八日第二小法廷判決)。

さらに、本件のごとく、真実の権利変動の当事者でない形式的な登記義務者については、登記義務者の意思に基づかずにされた登記であつても、その登記の記載が実体的権利関係に符合し、かつ登記義務者において登記申請を拒む特段の事情がなく、登記義務者に抹消請求を認めなければ、同人の法律上保護すべき利益の保護に欠けるなどの特段の事情がない限り、登記義務者は登記の抹消を請求することはできないものと解するのが相当である。

本件では、控訴人は意思に基づかずにされた登記の登記義務者である時雄の長男であつて、時雄がその後死亡したので相続により時雄と同一の地位に立つ承継人であつて本件移転登記が前記のとおり実体的権利関係に符合しかつ登記義務者において登記申請を拒むことができる特段の事情はなく、かつ、登記権利者である被控訴人(建設省)は、時雄の実印が押捺された関係書類の交付を受けたことから登記義務者を時雄とする本件移転登記申請を適法であると信ずるにつき正当事由があるものというべく、また、登記義務者である控訴人に抹消請求を認めなければ、同人に対して法律上保護すべき利益の保護に欠けるなどの特段の事情も存在しない。

そうすると、本件移転登記は有効であるといわなければならず、被控訴人の右主張は理由がある。

三  よつて、控訴人の本件請求は理由がなく、原判決は、結論において相当であるから本件控訴を棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 相良甲子彦 吉田京子 荒川英明)

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